でこてっくろぐ ねお

UbieのSRE。でこらいふろぐ(http://dekolife.hatenablog.com/)の姉妹版。デコテックログ(deko tech log)である

ゴールを探索しつつゴールに対するリスクを減らしながらゴールを達成していくのかが人生ですねぇ

ここ数ヶ月、そんなに規模は大きくはないが複数人が関わるプロジェクト管理的な仕事をしていた。計画から実施まで。非常に楽しくやらせてもらっていた(先日終わった)。 それをやっていく上で私の目指す生き方がだいぶ言語化できるようになってきた気がするのでここに書いてみる。正直全然まとまっていなくて、現時点での思考のスナップショット的な内容である。

プロジェクト管理、やればやるほど最終的には、ゴールを決め(表の目標は与えられることもあるが裏目標は自分で考えられる)、ゴールを変えた方が良くはないかというのを考え、ゴール達成に向けてのリスクの大きいところはどこか、というのを探し、リスクの大きいものをなるべく早めに省コストに潰し続けながらプロジェクト全体を進捗させていく、というものなのだろうな、これを人々はプロジェクト管理と呼んでいるんだろうな、みたいな気持ちになっている(PMBOKとか全然読んだことないので完全に私の感覚だけで語っています。また、それらを達成するために何をするかのプラクティスもめちゃくちゃ重要であるが、そこはまだ詳しくないしテーマがずれるので語らない)。 そして、プロジェクトが終わった後も"ゴールはそれで正しかったのか"を観察し続けるのも大事。

ゴールを決め、最初はざっくりとした計画を立てつつ、リスクが大きそうなところはある程度緻密に計画をたて、進むに従って知識も増えてリスクが下がっていき(というか、より効率よく知識を増やすことでリスクが減るように進め方を調整する)、次第に緻密な計画がコスト低くできるようになっていく、みたいなのをひたすら繰り返し、ゴール達成した後はゴールが正しかったかを観察し続ける。

不確実性コーンは時間の経過・タスクの進捗と共に勝手に減っていくというのもあるんだけど、減らすための動きを取り続けるのが大事なんだということがプロジェクト管理を通して肌で感じられたというか。

上記の流れがいろんなレイヤで発生する。1プロジェクトの中の細かいタスク毎でも上記は考えられるし、そのタスク毎のゴールの総体としてプロジェクトがあり、プロジェクトはまた大きなプロジェクトの中の一部となり。。。最終的には人生のゴールに向けてプロジェクトが何重にも階層構造をなす、みたいなイメージを持っている。

そして1つのプロジェクトの進捗や完了・その観察はまた別のプロジェクトの不確実性コーンを狭めるために(というかゴールを設定する・達成するために)使われる、というか。

翻ってこれは人生でも同様で、とにかく人生における大失敗って何か(例:お金を貯めること・子供がいい大学にいくこと)を幸せだと思い込んで突っ走ってって最後に"実際にそれはそんなに重要じゃなかった"と思って死んでいくことだと私は思ってるんだけど、そうしないためには上記と同様のことを考えると勝率高そうだなぁと思っている。

例えば、ここ2年くらいで 小動物を色々な種類飼ったり、植物を色々な種類育てている 中で、"「飼育・育成」と一口に言っても、自分はこういう特徴を持つ動植物を飼育するのに幸せを感じるんだ"みたいなのが見えてきていて、これは確実に人生のゴールを探索する・ゴールを達成することに対してプラスだな、みたいな気持ちになるわけですよ。この辺りは、"自分のやってみたいことをどんどんやったら人生が好転するのでは?"という雑な仮説を置いて進めた結果、うまくいったのではないかと思っている事例。

不確実性の高い現代において、仮説を置いてガチャガチャ色々やりながら情報量を増やしつつ結果を眺めて仮説を修正し、ゴールがわからない状態でも人生の総体としてのゴール達成についてのリスクを減らしていく、それを意識して生きていきたいと今は思っている。

このエントリ、言ってることの汎用性があまりにも高すぎて"書いてあることは当然じゃないか、それをどう達成するかが問題なんだよ"という気分もあり、何も言っていないに等しい気もするんだけど、これを書き残しておくことは大事であろう。

アジャイル宣言の "計画に従うことよりも変化への対応を" みたいな話なのかなこれは。 "Plans are nothing; planning is everything." もプロジェクト管理を進めていく上で私が大好きになった言葉です。計画を立てるのはとても大事だが、一度計画を立てたらその計画はそのまま実行するためのものではない、という感覚。

人生のゴールってなんなんだろうね

ここから内容が主題とどんどん離れていきます。

上記、"とにかく人生における大失敗って何かを幸せだと思い込んで突っ走っていって最後に「実際にそれはそんなに重要じゃなかった」と思って死んでいくこと"と書いているが、実際ゴールはどういう感じになるのだろうかというのは本当によくわからない。 小学生くらいの頃は"子供を育てるか教科書に載るようになるのがゴールだ(遺伝子を残すかミームを残すか、的な)"とか言っていたが、すでに子供を育て始めている私としては子供が成長したらゴールというのも違うしなぁ、みたいな気持ちになっている。教科書に載るかどうかも、少なくとも現時点の私から見たら特にどうでもいいことのように感じられている。"子供が幸せになること"はゴールかもしれないね。幸せとは???

直感的には"人生の幸せの総和を増やす"みたいな話も考えられると思うけど、それは違うのではないかという気もする。(そもそも幸せってなんなのか?定量化できるのか?みたいな話もあると思うがそれはおいておいたとしても)前半めっちゃ幸せで最後の最後で不幸だったら、なんかいい人生かって言われるとかなり怪しいと今の私は思っている。 最近、私が一番ピンときているのは、"今があるならこれまでの選択は正しかった" と最後に思えるといいのかなぁということである。ただ、そのために何をすればいいかというのは非常に難しい、というか本当に最後の瞬間にしかわからない気がしていて、リスクの非常に高い状態。このリスクを低くしていくのが人生なのだなぁ。そのリスクを低くしていくために考えて行動していく行為自体が幸せの総和を上げていく、というのはありそう。

ザ・ゴールという書籍を最近読んだが、この本は"企業の目的はお金を儲けることでそこに対するスループットを最大化せよ(そのためのボトルネックを見つけろ)"というのが主題で、それはその通りだと思うが、では人生は?幸せのスループットをあげていれば良い??そもそも幸せとは????

余談だが、上記の"今があるならこれまでの選択は正しかった" というのは以下漫画のセリフからの引用(セリフは正確じゃないかも)である。初めてこのセリフを読んだ時は私は感極まって泣いてしまった。 実際、大学後半から10年間くらいかなり辛いことがたくさんあったが、今の幸せから見ると、"当時の自分があるからこそ今の幸せがあるのだなぁ"という気持ちになれている。

どんどん余談が増えていくが、そういえば高校時代にスピーチで"人生とは絶望の砂漠の中からたまに幸せの粒を拾っていく旅だ"見たいなことを言っていた記憶があり、まさにその通りだなと思う。

まとまりがなくなってきたので終わる。幸せな人生を送りたいものだ。